2015年4月18日土曜日

千葉市内野第1遺跡 縄文時代土壙列と地形

1 土壙列と地形との関係
千葉市内野第1遺跡から出土した縄文時代土壙列と地形との関係が気になります。
報告書(「千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書 第Ⅰ分冊」(2001.3、株式会社野村不動産・財団法人千葉市文化財調査協会))をよく見ると、地形が出ている図面がありました。

千葉市内野第1遺跡縄文時代遺構に見られる土壙列

第2列は台地崖の中腹付近、第1列は台地崖中腹から崖を斜めに横断して低地まで伸びています。

このような仕掛けにより、鹿群の追い込み落し穴猟をしたのだと思います。

台地面にいる鹿群を追い込んで来て、崖を下らざるを得ないようにして、斜面を加速した鹿群が落し穴に落ちざるを得ないような各種工夫をしておいたのだと思います。

大規模な落し穴猟ですから、台地面の様子が判らないと、どのように鹿群を追い込んだのか、わかりません。

そこで、周辺の台地地形の様子を見ることにします。

2 土壙列と周辺地形との関係

報告書では遺跡発掘区域をより広域的な図面とか一般地図にプロットした情報が一切ありません。
遺跡発掘区域の正確なGIS上の位置を知ることはできませんでした。

しかし、1960年代千葉市都市図(航空写真測量図)をみると、そのなかのコンターと上記土壙列図面のコンターが類似する箇所を見つけだすことができました。

1960年代千葉市都市図と土壙列配置図との対応

測量が違いますから1本1本のコンターは対応しませんが、地形そのものは精度の高い対応を示すオーバーレイ関係をつくることができました。

この情報操作により広域地形と土壙列の正確な対応関係情報を得ることができました。

1960年代千葉市都市図に土壙列をプロットすると次のようになります。

千葉市内野第1遺跡縄文時代遺構の土壙列の開発前地形における位置

この周辺地形の中での土壙列位置情報から、この土壙列をつかった狩猟方法について検討してみます。 つづく

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参考 開発後の現在地図に土壙列をプロットすると次のようになります。

千葉市内野第1遺跡縄文時代遺構の土壙列の位置

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