2015年6月14日日曜日

墨書土器文字「生」の出土状況

萱田地区4遺跡の墨書土器文字の出現率のもっとも高い文字は「生」となっていますので、「生」の出土状況を確認しておきました。

墨書土器文字「生」は次のように出土しています。

墨書土器文字「生」の出土状況(一覧表)

墨書土器文字「生」の出土状況(グラフ)

萱田遺跡では白幡前遺跡と権現後遺跡の出土数が多く、権現後遺跡では全データの23.1%に達します。

今後の検討で、白幡前遺跡と権現後遺跡の交流・結びつき等について検討して行きたいと考えます。

「生」は萱田地区の墨書土器文字の意味を考える際には最大の思考エネルギーを投入すべき対象です。

これまで、次のような検討をしてきています。

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●生の意味
生の字の意味は多岐にわたり、国語大辞典(小学館)では「生」1文字の見出しが46に及び、それぞれの見出し毎に数項目の意味を説明しています。

この資料を参考にして、私は白幡前遺跡出土「生」の辞書的な言葉意味は次のようであると思いました。

いき…生きること。
いきる…命を保つ。生存する。死にそうな状態からのがれて助かる。
いく…命を保つ。生存する。死にそうな状態からのがれて助かる。

白幡前遺跡とそれを含む萱田地区は蝦夷戦争の軍事兵站・輸送基地であることから、多くの将兵がここを経由して戦地である陸奥国に向かった場所です。

その将兵の最大の本能的関心事は、蝦夷戦闘員との戦いで生きるか、死ぬかということで間違いないと思います。

飛んでくる矢に射ち抜かれたり、白兵戦で刃に倒れたりする状況をイメージして、そうならないで、生き残りたいという願望が最大のものであったことは確実です。

そうした将兵が、一時逗留した場所の日常生活における祈願で、自分の器を作る時(墨書する時)「生きたい」「生き残りたい」というような心情のもとに「生」(イク)の字を書くことは極自然なことであると思います。

「生」の字は、戦地に向かう将兵一般が使うポピュラーな祈願文字であったと考えます。

「生」の字は、この墨書土器に盛ったお供え物と引き替えに、私の生(生きること)を下さいということを意味します。

「生」の字は、特定の親族集団とか特定のプロジェクトグループに関わる文字ではなく、白幡前遺跡に一時逗留して戦地に向かう将兵がだれでも使ったものと考えます。

墨書行為は一人一人の将兵が実行したというよりも、上官が、あるいは基地専属の世話要員が行ったということも考えてよいと思います。

なお、作った自分の墨書土器を使って、日々祈願する内容は、当然のことながら生活のあらゆる事柄に及んだと思います。まだ戦地に行ってないのですから、「生き残りたい」だけではなかったと思います。

祈願の道具である墨書土器に書かれた「生」の字は、それを持つ人がこれから戦地に向かう将兵であることを自覚するための重要な記号であったとも考えます。

生を意識することで戦死の覚悟が無意識の内に形成され、より充実した戦闘員になれたのだと思います。

1Aゾーン、1Bゾーンは基地で働く人ではなく、移動将兵の逗留場所であると考えられますから、その場所から「生」の字が沢山出土することは、ゾーン機能の見立てと「生」字意味の見立ての双方がお互いにその確からしさを補強しあいます。
ブログ花見川流域を歩く 本編 2015.05.11記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その1」より
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平和で長寿社会となった現代の「生」のイメージは「いつまでも死なないで生き延びる」というような消極的ニュアンスが濃くこびりついていますが、古代では「生」のイメージは現実に訪れる生死の境で、相手を殺すことによって自分は生き残り、それが社会貢献であり、人生の全うであるという積極的ニュアンス、能動的ニュアンスがメインであったと考えます。

長寿社会で人口爆発時代の現代と短命社会で人口がきわめて少なかった古代とでは「生」の価値が全く異なっていたと考えます。

このような古代蝦夷戦争時代の「生」に関する検討が的確なものであるのか、それともトンチンカンな思考であるのか、今後の検討で検証していきたいと考えています。

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