2015年6月21日日曜日

墨書土器の記号について考える

墨書土器の文字について自分なりに思考を積み重ねていますが、どう考えても記号のように感じてしまい、対応する漢字が無いものがあります。

発掘調査報告書の釈文でも「記号ヵ」などと記載しています。その記号の見かけを印刷物では外字作成で表現しているものがあり、データベースではその外字を表現できないので〓になっているもの多くあります。

外字をわざわざ作っているのは、同じものが沢山出土するためだと思います。萱田地区の別の遺跡から同じ記号が出ることも珍しくありません。

「千葉県の歴史 資料編 古代 別冊出土文字資料集成」で外字をつくっている記号につぎのようなものがあります。

萱田地区遺跡の墨書土器に現れる記号

こうした記号について思考してみましたので、メモしておいきます。

1 記号は複数出土し、なおかつ離れた場所からも出土するので、人々の活動の中で流行ったことは確実だと考えます。
個人が思いつきで書いたという1回性の作品ではなく、その記号に意味があり、名称があり、社会集団の中で使われたと考えます。

2 記号が単なる無機質な記号ではなく、意味や名称があって使われていたということは、執拗にかつ長期間にわたってその意味を考えていれば、いつかそのヒントを得ることができると考えます。

3 一般人を社会活動に動員するための手段として、教養のある官人が一般人に対して漢字(文字)を使ったという社会状況の中で、墨書土器というものが発生したと考えます。
つまり、官人が一般人に漢字(文字)を教えるという大局的社会プロセスの中で、墨書土器が生まれたと考えます。
ですから、文盲の人が文字をよく理解するまでの中間段階として、漢字を充分に理解しないで、漢字もどきの文字を使うという段階があったものと考えます。記号のほとんどは漢字もどきの文字であると考えます。記号と正式漢字は同じ次元で使われていたと考えます。

(記号を使った人・グループはその記号が正式漢字ではないと理解していたと考えますが、その記号を身内だけで通じる漢字として使い、文字を全く知らない完全文盲の人…例えば近くにいる奴婢や俘囚…と比べて心理的優位性を得ていたと考えます。)

4 遺跡内のあるゾーンにおいて、現代において記号としてしか認識できない漢字もどき文字の量が多ければ、そのゾーンには文盲段階と漢字理解段階の中間に位置する人が多かったと考えられます。

5 「記号(漢字もどき)史料数/全出土文字史料数」という指標をつくりゾーン比較をすれば、その指標の値が大きいゾーンは文字に関する教養の程度が低く、反対に指標の値が小さいゾーンは文字に関する教養の程度が高いということになります。
この指標が実現できれば、ゾーンの特性の一端を浮き彫りにすることができます。

予察的に検討してみたところ、白幡前遺跡の2Aゾーン(寺院と接待施設があり、人面墨書土器が出土し、ハマグリが多出するたゾーン)は「記号(漢字もどき)史料数/全出土文字史料数」の値が他のゾーンと比べて小さく、ゾーンの教養程度が高かったことが証明できそうだという感触を持つことができました。

「記号(漢字もどき)史料数/全出土文字史料数」という指標で遺跡間比較もできると考えます。

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