2015年7月31日金曜日

小字 北海道、南海道、西海道、東海道

萱田遺跡群北海道遺跡の北海道はその場所の小字からとっているのですが、付近には南海道があり、また勝田川には東海道という小字があり、地名由来が気になっていました。

その小字地名由来が「八千代市の歴史 通史編 下」(八千代市発行)にわかりやすく出ているので、紹介します。

北海道の地名
市内には北海道(ほっかいどう)が萱田や萱田町に、南海道(なんかいどう)が萱田に、西(さい)海道が高津に、東(とう)海道が勝田に、四ツ海道が島田台に、堂(どう)海道が麦丸に、外(そと)海道が神野にある。ここで海道は海の道の意味ではなく、カイトが靴ったもので、カイトは垣内からで垣で囲まれた一区画の土地、もしくは耕作する予定で囲った地区のことをいう。すなわち、北海道とはその地区での北方にある区画ということである。同様に同地区にある南海道はその南側に位置していることが判る。
また、高津の西海道も西の集落の西側にある区画である。勝田の東海道は現在の集落の区画のことを意味していると思われる。島田台の四ツ街道は、比較的矩形である。麦丸の堂海道は大日前のとなり、すなわちお堂の側の区画であることが判る。神野の外海道は集落の中心より外にある。」(「八千代市の歴史 通史編 下」(八千代市発行)から引用)

八千代市内の「海道」地名
基図は地理院地図を利用したGoogle earthから引用

柳田國男は「地名の研究」の中で垣内(かいと)について詳しく論じ、その本質を次のように論じています。
「この語の本来の意味はある有力なる一人の占有者の分内に、その被護者が許されて住みかつ耕すということで…ある。」

この説に依れば、北海道と南海道は隣接しているので同じ有力者の庇護下にできた居住あるいは耕作のための小区画であり、北側が北海道、南側が南海道ということになります。

それ以外の「海道」地名はお互いに無関係で生まれた地名になります。

住民が垣内(かいと)の意味を忘れたため、漢字をあてる必要が初めて生じたときに勝手な字「海道」が一斉にあてられたということです。

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