2015年11月7日土曜日

2015年10月のふりかえり

ブログ「花見川流域を歩く」とブログ「花見川流域を歩く 番外編」の2015年10月の活動についてふりかえります。

1 ブログ「花見川流域を歩く」
●鳴神山遺跡の検討
自分にとっては画期的検討が10月になってできました。

画期的検討とは1つ1つの竪穴住居・掘立柱建物などの遺構をGIS上にプロットして、それと墨書土器データベースの情報を同期させて検討し始めたことです。

萱田遺跡群では発掘調査報告書で設定されている遺構「群」を地域的ゾーンに見立てて検討しました。
初心者が萱田遺跡群の全体像を大づかみで知るためには、効率的な検討が出来たと思っています。

しかし、鳴神山遺跡ではそのようなゾーニングに使えるような設定がないため、検討を深めるためには仕方なしに、個別遺構をGISにプロットして検討を始めたのです。

なお、鳴神山遺跡では発掘調査報告書の閲覧が、想像を絶する無意味機械的な図書館利用規制のため困難を極めていて、その条件により、全遺構をGISにプロットできたわけではないのです。

そのような不十分さはありますが、全体像をつかむうえでは十分な遺構情報をGISにプロットできました。

いったん情報をGIS上のデータに展開してしまうと、芋づる式に有用情報を次から次へと展開できることを実感しました。

GIS上の分布情報を使う中で、墨書文字「久弥良」が金毘羅であることがわかるなどの収穫が相次ぎました。

また、文献から得られた情報「現代の神社分布から想定される古代氏族」の印旛への経路などについても、鳴神山遺跡との関連で寄り道検討しました。

今後、鳴神山遺跡については遺構のGISプロットを完全なものにするとともに、墨書土器データベースだけでなく、発掘された遺物情報等も併せてGIS上で検討して、遺跡の特性を自分なりに把握するつもりです。

さらに、船尾白幡遺跡、西根遺跡の検討にも早く入りたいと考えています。

また、鳴神山遺跡で自分レベルで開発した遺構GISプロットによる検討手法を、萱田遺跡群に適用して、萱田遺跡群の再度分析にチャレンジし、これまでの検討を補強したいと考えています。

萱田遺跡群といい、鳴神山遺跡といい、平戸川沿いの遺跡群は蝦夷戦争における律令国家の最大規模で最重要な兵站基地群であるという印象を持っていますので、詳細検討を繰り返し行ってその認識の質を高めるだけの価値があると考えています。

その検討が私の考えている「花見川-平戸川筋=古代東海道水運支路」仮説の実証に役立つと考えます。

2 ブログ「花見川流域を歩く 番外編」
番外編は本編には掲載をはばかるようなあまりにマニアックな記事(つまり自分だけが勝手に興味を持つ事象の記事)を掲載しています。

そのような趣旨に恥じない自分勝手な興味を記事にできていると考えます。

番外編の記事は11月以降もこれまで書いたような記事を非定期で掲載したいと考えます。

3 趣味活動に関する出来事
これまで様子見してきたWindowsの7→10バージョンアップを実行しました。
心配したような移行時弊害はほとんどなく、パソコンの使い勝手が向上しました。
結果的にブログ活動がより快適になりました。

日々のブログ記事作成に必ずしも直結しない基礎作業(データ収集整理、体系的データ分析など)に時間を割く生活スタイルが定着しつつあります。その一環として、小字データベース作成作業も進行しています。

参考 ブログ「花見川流域を歩く」の2015年10月記事
◇はアクセス数の多かったもの、○は私自身のお気に入り。

参考 ブログ「花見川流域を歩く 番外編」の2015年10月記事
◇はアクセス数の多かったもの、○は私自身のお気に入り。
花見川風景

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