2015年11月1日日曜日

恥掻きは必要経費

ブログ「花見川流域を歩く」本編で次の3つの記事を書きました。

2015.10.30記事「メモ 地名と墨書土器の文字」…A
2015.10.31記事「メモ 地名と墨書土器の文字 その2」…B
2015.11.01記事「メモ 萱採取集団の存在を暗示する墨書土器」…C

A記事では「草田」の意味を、従事する開発水田に草ばかり生え、生産性が低く、この水田での増産を願う祈願であると考えました。
B記事では「草田」の意味を、A記事を否定して、有用資源萱の増産を願う祈願であると考えました。
C記事では、B記事を補強する新たな証拠を示しました。

B記事を書いた時点で、自分の心理では恥かき50%、新たな真実が判ったという嬉しさ50%でした。

さて、A記事の趣旨はずっと以前から考えていたことです。しかし、それを真正面から記事に書いたことはありませんでした。

今回、たまたま偶然にA記事を書きました。

A記事を書いてブログに掲載した途端に、その誤りが判りました。

A記事を書かなければ、いつまでもその思考にとどまっていたことは確実です。

A記事を書いて(得意になって書いて)、初めてその誤り(不備)に気が付きました。

B記事で掻いた恥は、必要経費みたいなものだと感じました。

すべて予定調和的に論理的整合性を保って自分の考えを推し進めることなどできるはずはありません。

間違いや不備を内蔵しながら物事を考えていくという凡人にとって、恥かきは前進するための必要経費みたいもので、それをケチることは得策ではないと感じました。

恥は掻いても、前進できればその方がよいと思います。

「花見川流域を歩く」ブログでは時々恥を掻きます。

花見川風景

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