2016年3月19日土曜日

地名から思い出す過去の知人群

ブログ「花見川流域を歩く」の2016.03.19記事「千葉県全54市町村の小字データベースがついに完成する」で報告した通り、千葉県の小字93986の電子化が終了しました。

丸13ヶ月を要する膨大な作業をこなしたことになります。かけた時間が長いので、その時間はほとんど全て単純作業ですから、思考は通常の3割くらい生きています。

単純作業中にその作業に対する注意やデータの観察とは別の事柄について、普段の3割くらいの低レベルですが思考したということになります。

その思考の中で次のようなものが含まれていますので、メモしておきます。

1 93986の小字名をルビと漢字で、原本とOCR結果を照合、訂正、区切り作業をしていて、小字名が人名(苗字)になっているものが大変多いという感想を持ちました。

統計を取っているわけではありませんが、私がこれまで知っている日本人の苗字の9割以上が千葉県小字名に含まれているように感じます。

従って、作業で次々に小字名をたどると、「この小字は仕事で会ったことのある人の苗字と同じだ」、「この小字は小学校の同級生と同じだ」、「この小字は・・・」と際限なく自分が過去に知ったことのある人が思い浮かびます。

そして、驚くべきこととして気が付いたのですが、過去の知人の思い出す順番や知人としての自分の評価、記憶の確からしさなどとは全く無関係に、ランダムに思い出すということです。

自分がもう忘れていた人を思い出すこともあれば、好意的印象を持った人もいれば、マイナス感情を伴う人もいれば、・・・、本当にランダムに過去に自分が関わった人を思い出します。

その時、自分の人生の縮図を強制的に見させられているような感情が沸き起こりました。

このような感情は味わったことがありません。

自分が過去を振り返るときはたびたびありますが、その時の感情とまったく異なります。

自分が過去を振り返るときは、随分と狭い範囲の情報(いわば自分に好都合の情報)だけを思い出していることに気が付きます。

多数の小字地名から自分に関わる人名を思い出し、それからその時の情景や感情を思い出し、それが自分の好みとは関わらない客観的なものであることに気が付き、自分の過去人生を少し客観的に見たような感想を得ました。

それだけ、小字名と苗字がかかわっているということです。

2 反対に人名が小字名になっているものが大変少ないことに気が付きます。
近世の新田開発では人名が付いているものがありますが、それ以外ではほとんどゼロだと思います。
時の権力者などの人名が地名にならないという日本人の特徴的好みがあるようです。

早朝の花見川風景

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