2018年3月14日水曜日

ボトムアップ方式が世界でも最大級の成功を収めたニューギニア高地

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 13

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第9章存続への二本の道筋」で書かれている成功事例の一つであるニューギニア高地について抜き書きをしてその感想をメモします。

1 ニューギニア高地-数万年にわたる社会の維持
ニューギニアでは、約四万六千年前から人々が自立した生活を営んできた。最近になるまで、外の社会から経済的に重要な物資が流入することはなく、高い身分のシンボルとしてのみ珍重される貿易品目(タカラガイの貝殻やゴクラクチョウの羽など)以外は、どのような物資も受け入れていなかった。

(1930年代になってはじめてニューギニア高地社会が西洋人の目にふれた。)

木立のほとんどない広々とした谷間は、見渡すかぎり、灌漑・排水用の水路で区切られたこぎれいな菜園に整えられ、ジャワや日本を思わせる段々畑の急斜面が広がって、村々は防御柵で囲まれていた。その後、さらに多くのヨーロッパ人が、操縦士の発見を陸路でたどり、住民たちがタロイモ、バナナ、ヤムイモ、サトウキビ、サツマイモ、ブタ、ニワトリを育てる農民であることを知った。現在では、最初に挙げた四種の主要作物(及びその他の副次的な作物)は、ニューギニアが独自に栽培品種化したものであり、ニューギニア高地は、植物の栽培品種化を独自に成し遂げた世界に九カ所しかない中心地のひとつで、七千年近い営農の歴史を持ち、世界屈指の長期間にわたって持続可能な食糧生産を実践していることが明らかになった。

なにしろ、年間最大一万ミリもの降雨量があり、地震や地すべりや(海抜の高いところでは)霜が頻繁に襲う地域で作物を育てるために、数千年の時を費やして試行錯誤を重ねてきたのだ。とりわけ、じゅうぶんな食糧生産のために休耕期間の短縮や連作さえ不可欠な人口過密地域では、地力の維持を目的としてありとあらゆる技術が駆使されただけでなく、以下に説明する育林も行なわれた。

高地でのモクマオウの移植は目をみはるほど大規模なので、現在この慣習は、従来の農業における作物の栽培になぞらえて、〝育林(silviculture)〟と呼ばれている(ラテン語でsilvaは森林、agerは畑、culturaは耕作を意味する)。

 こうして木の供給と地力の問題を解決しただけでなく、ニューギニア高地の人々は、人口の増大という問題にも取り組んだ。人口増加は、さまざまな慣習によって制限されるようになり、それはニューギニアの友人の多くが子ども時代になるまで続いていた――おもな手段は、戦争、嬰児殺、避妊や堕胎のための森林植物の利用、禁欲や授乳中の数年間にわたる自然な授乳性無月経などだ。その結果、ニューギニア社会は、イースター島、マンガレヴァ島、マヤ、アナサジ、そのほか多くの社会において、森林乱伐と人口増加がもたらした運命を避けることができた。この高地の民は、気候変動と人間による環境侵害が絶えず状況を変化させてきたにもかかわらず、農業が起こる前の数万年間、そして農業が起こってからの七千年間にわたって、社会を維持してきたのだ。
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、下)から引用

ニューギニア島の地勢

2 感想
人類が植物栽培を成功させ農業を始めることができた場所の一つがニューギニア島であり、その場所で育林を成功させ、同時に人口増加制限にも成功したことが社会崩壊から免れることができた主因であると著者は説明しています。
ニューギニア島がこのような人類史的な意味のある場所であるということを始めて知りました。

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