2018年4月9日月曜日

森林資源の損なわれた江戸時代の日本と徳川幕府の解決策

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)の学習 15

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」(草思社文庫、上下)を読んでその抜き書きをしたり、感想をメモしたりしています。この記事では「第9章存続への二本の道筋」で書かれている成功事例の一つである江戸時代日本について抜き書きをしてその感想をメモします。

1 森林資源の損なわれた江戸時代の日本と徳川幕府の解決策
以下抜き書きとメモによる要旨です。
もうひとつの成功譚は、次の点でティコピア島と類似している。外の世界から孤絶した人口密度の高い島社会が舞台であること、経済的に重要な物資の輸入がほとんどなかったこと、そして持続可能な自給自足のライフスタイルを打ち立てた長い歴史を持つこと。
しかし、類似点はそこで終わる。なぜなら、この島は、ティコピア島の十万倍の人口と、強力な中央政府、先進的な産業経済、裕福で強力な支配層に束ねられた高度な階層社会、さらには環境問題解決に向けての上意下達型の強固な体制を有しているからだ。ここでは、1868年までの日本を事例として取り上げる。
徳川幕府の解決策 1657年の明暦の大火と、結果として首都再建のために生まれた木材の需要は、国の人口、特に市街地の人口が急増していた当時、刻々と進む木材その他の資源の欠乏に警鐘を鳴らす機会となった。それは、イースター島並みの大惨事につながる可能性もあった。しかし、日本は、次の2世紀のあいだに少しずつ、安定した人口と、これまでよりずっと持続性のある資源消費率を達成してみせた。この方針転換は、代々の将軍による上からの主導で行なわれた。将軍たちは、儒教の原理に訴え、国を災厄から守るため、消費を抑えて予備物資を蓄えるよう奨励する上意を布達した。
●2つの方針転換
・方針転換のひとつは、農業に対する圧力を緩和するため、魚介類やアイヌとの貿易で得た食料への依存を増やしたことだ。
・もうひとつの方針転換として、人口のゼロ成長をほぼ達成したことが挙げられる。
●消極策と積極策
・トップダウン方式の政策の多くは、樹木の伐採と生産のあいだに生じた不均衡の是正をめざしており、当初は消極策(伐採を減らす)を中心としていたが、しだいに積極策(生産を増やす)も採られるようになった。
●なぜ日本社会は崩壊しなかったのか?
・ポリネシアやメラネシアのたくましい島々と同様、日本では、降雨量の多さ、降灰量の多さ、黄砂による地力の回復、土壌の若さなどのおかげで、樹木の再生が速い。
・ほかの社会では多くの土地の森林を荒廃させる原因となった、草や若芽を食べてしまうヤギやヒツジがいなかったこと、戦国時代が終わって騎兵が必要なくなり、江戸時代の初期にウマの数が減ったこと、魚介類が豊富にあったので、蛋白質や肥料の供給源としての森林への圧力が緩和されたことなどが含まれる。
指導者たちが、受動的な策ばかり採らず、危機を予測して早めの行動に乗り出す勇気を持ち、鋭い洞察によって〝上から下へ〟の管理を決断すれば、社会を見違えるように変化させることができる。それと同様に、勇敢で活動的な住民たちは、〝下から上へ〟の管理を実行に移すことができる。徳川家の将軍たちと、わたしの友人でもあるモンタナ州テラー野生動物保護区に関わる地主たちは、みずからの長期的な目標に加えて、その他おおぜいの利益をも追求しているという点で、それぞれの管理方式の最高の範例と言えるだろう。

2 感想
・戦国時代が終わった時点では森林荒廃とそれを是正する社会規範が十分に存在していないため、将来社会崩壊を招きかねないような客観状況が存在していたという指摘が書かれています。この指摘はこれまでの自分の日本史認識に無かったので、自分にとって大きな学習成果です。
・鎖国による内部資源の有効利用だけによる経済運営と人口増加阻止施策の機能が社会崩壊しなかった理由としていますが、そのような捉え方は現代グローバル社会の崩壊を免れる条件でもあると強く感じます。
・徳川幕府の上からのトップダウン環境管理の有効性について、著者は日本人が考えるよりより純粋に把握しているように感じました。

参考 現代の日本列島付近の森林 緑色が森林 Natural Earth1(現状土地被覆)

参考 人の影響が無かったと仮定した場合の日本列島付近の森林 緑色が森林 Natural Earth2(人の影響を除外した仮想土地被覆)

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